日本再生の基本戦略

みなさん、こんにちは。藤原直哉です。

日本再生の基本戦略について、12月16日付の藤原直哉ワールドレポートでまとめてみました。その部分を抜粋させていただきます。どうぞお読みください!

基本的にここまで追い込まれてから内需中心の持続的成長を行おうとすれば、人々の新しい理想を具現化した都市と田舎の再生を産業再生と同時並行で行うしかありません。

今の経済界が最も困っていること、それは仕事がないことです。その仕事は都市と田舎の再生によって作り出します。そしてそのコストは、都市と田舎の再生にあたって独自の技術やノウハウ、製品の開発を行って、それをその新しい都市と田舎にあこがれる人たちに売って稼ぎます。

たとえば欧米を見てください。ロンドンやニューヨーク、パリという大都市がまさに展示場になっていて、しかもそこは常に新しい時代の最先端の理想を取り入れながらどんどん改造され続け、それを見て自分も同じものがほしいと思った世界中の人にいろいろなモノやサービスを売って稼いでいます。彼らは著作権や特許にとても執着しますが、それは製品の製造が外国に行ってしまったために自分たちの都市を発展させる原資が枯渇するリスクに直面し、いろいろと理屈をつけながらいわば文明の本社費用として世界中から徴収しているわけです。

もし都市再生を独自の産業再生なしにやればすべては借り物、直輸入であり、都市再生に必要なコストを稼ぐことができず、都市は衰退していきます。

この20年ほどの地方都市がまさにそうでした。手っ取り早く東京のまねをして都市を作り直したものの、その地域固有の産業や商品は衰退させてしまいましたから、あとは他の地域とのコスト競争にさらされるばかりとなり、人が減り、町が衰退し、返せないコストの借金だけが残ったわけです。

あるいは80年代のレーガン政権の失敗も重要な教訓です。すなわち70年代までに米国の製造業は大きく衰退していました。そこにレーガンが意欲的な需要創造政策を導入したところ、必要な製品を国内で調達できず、一気に海外から輸入が増えてしまって、米国はまさに今日の国家崩壊に至る直接の原因を創りだしてしまいました。

ドバイもあれだけきれいな街を作ってなぜ破綻したか。答えは同じで、独自の技術や製品で街づくりをしなかったからです。

そうするとたとえば中国もこの30年間にあれだけ巨大な街を作りましたが、中身はみな借り物や直輸入であり、これはドバイと同じようにコストが払えなくなって破綻するのは時間の問題です。

ここで世界の新興国は激しいダンピング輸出で自国の産業を維持しようとしています。現代の国際市場における産業政策というのはシーソーゲームのようなもので、みんな狭い市場で競争を繰り広げますから、自国が不利な状況になった時にそのままノックアウトされて退場する前に、何か手を打って競争力を回復させて、沈み込んだシーソーをもう一度持ち上げるようにしていかなければなりません。そうしないと産業の基礎をなす企業群が丸ごと崩壊してしまうのです。

そして産業政策は昔も今も国家単位で機動的に行うことが世界の常識です。

ですから今の日本ももっと産業政策を堂々と行っていかないと産業が崩壊し、独自の技術や製品による新しい都市の再生ができなくなり、米国のような赤字国になってしまいます。

今回の世界大恐慌はそういう視点で日本政府も臨まないときわめて大きな禍根を残すことになってしまいます。

今の中央の政治家がよく言うように、自助努力だけで日本の産業を生き残らせることは不可能で、昭和時代のように単にカネを出すのではなく、国がリーダーシップを取って市場を作ったり技術開発をしていかなければなりません。それは決して後進的なことではなく、どの国も表から見えないように密かにやっていることです。

最近は東京銀座にも水田があるのです(www.iknowledge.jp/suiden)。何でもできることはやってみるべきです。

先週の本誌で述べたように今の日本に起きる様々な問題は、根源的な病気が引き起こす無数の症状であり、一つ一つの症状に対症療法で臨んでも何も問題は解決しません。ここは根源的な問題を治すしかありません。

そしてその根源的な問題とは日本の成長が量的・質的に止まってしまったことです。世界大恐慌と人口減少の時代なら、日本の成長は質的に行えばよいのです。質的な成長があれば経済は続きます。

最先端の海外ブランドが並ぶ銀座に水田ができて人々が夢中になる。そこに今の日本人がどの方向に質的成長をしたいかがはっきり見て取れます。さらにその質的成長を加速させる最も良い方法は、今までのように大量のエネルギーを使わないようにすることです。

すなわち戦略的に低エネルギー社会を作れば日本はほとんど自動的に質的な成長が始まると思います。

限界集落で暮らす人々が持つ超人的な気力、体力、能力こそ、21世紀の我々が最もあこがれる能力なのではないでしょうか。それは限界集落が非常に低いエネルギーで運営されているから身についた能力であって、もし限界集落が極めて便利な場所なら、そういう能力は育たなかったはずです。

日本はこれからもっと人が頭と体を動かして、アナログで試行錯誤しながら時間をかけて少しづつよいものを作っていけばよいのです。先ほどのシーソーの要領で現在の産業基盤を崩壊させないように残しながら、できるところからこういう新しい質的成長分野に人や組織を移行させていけばよいのです。

では何を作ればよいのか、それは我々の理想とする都市と田舎を創るなかでその一つ一つの部品を独自に作ればよいわけで、そのコストは、そうやって作られた部品やノウハウを隣の街や海外に売って稼ぐのです。

なぜ一村一品運動が失敗したかというと、根本的な街づくりの構想なしに、どこに何のために使うかわからない部品をばらばらに売っていたからです。

それから亀井大臣による金融返済猶予法は現場では全然機能していないようです。企業はこれにかかってブラックリストに載ったら2度と金を借りられなくなると思い、また銀行はそんなことをは昔からやっているとして全然融資を増やしていないようです。

中小零細企業の問題はまず仕事がないことなのです。仕事さえあれば返済猶予も新規融資も非常にやりやすくなるのです。

多くの経済人、一般人が参加できる巨大な国家的プロジェクト、あるいは地域プロジェクトを創るのがこういうときの政治家の一番大事な仕事なのです。

やはり産業の勃興には統一的なリーダーシップが必要なのです。とにかく政府にもっと経済や産業のわかる人、そしてヨコ型リーダーシップを駆使できる人がいないと話になりません。

金融も産業金融のわかる人でなければ話になりません。手遅れになる前に政府も考えて行動してもらいたいと思います。

藤原直哉 拝