二宮尊徳と日本版投資銀行

みなさん、こんにちは。藤原直哉です。
今年もいよいよ暮れようとしていますがお元気にお過ごしでしょうか。 NPOの会員のページではいろいろな話題が出てきています。そのなかで、私は二宮尊徳のお話をよくご紹介しています。その一端をここでもお話したいと思います。
貧困に迫って一家を失おうとする者には、あるいは田を開き租税を免除してこれを作らせ、あるいは負債を償ってやり、あるいは家を作ってやり、農具を与え 衣類を与え、一家を保ち生計を立てさせるために、ありとあらゆる手段を尽くした。ところが、恵みを加えること厚ければ厚いほど、彼らの困難はいよいよ増 し、目をかければかけるほど、彼らに災害が来て、救おうとすればかえって倒れる結果となった。先生は大いにこれを憂い、その理由を考えた。
「枯れた木には幾度肥しをかけても再び茂らせることはできない。生きた若い木に肥しをやれば、すくすくと生長する。無頼の民は積悪すでにはなはだしく、まさに滅びようとする時機が来ているのだ。それなのに、なおこれに恩沢を与えるならば、いよいよ恩のために滅亡を促すわけになろう。助けようとしてかえって滅亡を促すことは、仁のようでも実は不仁に当たる。してみれば、改心して農業に出精する道を彼らに教えて、長らく染まった汚悪を洗い、彼らが心を改め農業出精の道が立つようになってから恩恵を施すようにすれば、ちょうど若い木を培養するように、災害を免れ、永続の道に達するであろう。もしまた、教えを重ねても彼らが改心することができず、いよいよ無頼に流れ道にそむいてゆくならば、救助の道を施す余地はない。それが滅びるのを待って、その親族中実直な者を選んでその家を継がせれば、これまた若い木に肥しをやるように、積悪の報いが尽きて再盛するであろうこと、疑いない。ああ、今まで恵んだのは姑息な手段であったわい」。

このように深く考慮したうえ、大いに教化指導を下し、改心の実があがったことを見とどければ厚くこれを恵み、改めない者は困窮が極まって他国に逃げ出すようになっても恵みを与えなかった。

まことにこれが世の中の実像なのですね。150年前もやはり価値観がゆがんだ人や地域を立て直すことは不可能だったのです。その後、開国から明治維新になって、暗くて冷たい人たちにも再びチャンスが巡ってきて、逆にいえば尊徳さんが取り組んだ仕法がなくても暮らせる世の中になったわけですが、いよいよ今回は尊徳さんの言うとおりになってきました。

本当の貧困とはすごいものです。中途半端に頑張るよりも、どん底に落ちて救われたほうが楽だという思いが人々に芽生えてきます。だから何を言ってもやっても立ち直らなくなります。そういう人を本当に変えることができるとすれば、ものすごく高い人間性を持って接することだけです。でもそういうチャンスに出会える人は本当に幸せです。世の中がさらに行き詰ってくると、どん底に落ちてた人を誰も救ってくれなくなります。お金も政府も頼りにならない世の中です。でもどん底に落ちても良き友がいれば人は這い上がってこれます。ということはここでもその人が良き友を持つことができる程度の価値観を持っているかどうかが問われてきます。

日本版投資銀行も基本的には尊徳さんのようにやらないとうまくいきません。尊徳さんは日本で最初に信用組合を創った人です。ほとんど貸し倒れということがなかったそうです。今でいえばマイクロクレジット、消費者金融、運転資金、設備資金、財政資金、実に様々な融資をやっていました。あの激しいデフレの江戸末期、何を基準にどう貸せば不良債権が出ないのか。まず第一に借り手の価値観。二つ目に借り手の仕事や生活を具体的に助ける知恵と経験。このあたりですね。

やはり武道館に日本中から人を集めてリーダーシップ研修から始めないと結局何をやってもうまくいきそうにないですね。あの研修はすごいのです。耳をふさいで帰っていく人と、嬉々として聞き入る人が分かれてきます。たとえばこれもそうです。とりあえず、嬉々とする人から先に新しい舞台に上がってもらうしかないですね。価値観が問われるリトマス試験紙みたいなものです。

まさに温故知新とはこのことですね。

藤原直哉 拝